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制作協力 ソナエ

グリーフケア研究所を訪ねて

悲嘆にくれる人に寄り添う「そこにマニュアルはありません」
大切な人を亡くしたグリーフ(悲嘆)からの回復について学ぶことができる場がある。鉄道事故や震災、さらに昨今の終活ブームもあって、人の死を身近に考える機会が増えたせいか、受講希望者は多い。グリーフケアの学びとは―。

本稿は、「終活読本ソナエ」2013年夏号に掲載されました記事を、同誌のご厚意により転載いたしたもので、文中の肩書・年齢・日付等に関する記述は原則として掲載当時のままとさせていただいております。

 東京・四谷の上智大学キャンパス。午後6時。まだ残っている学生がサークル活動などに汗を流す中、学生にしては薹(とう)が立った男女が続々と校舎に足を運んだ。同大「グリーフケア研究所」の市民向け講 座を受講するために集まった人たちだ。
 通常の受講生でも300人もいるが、この日は聖路加国際病院理事長でグリーフケア研究所名誉所長の日野原重明さんが講師。特別に一般参加も可だったため約450人が詰めかけた。受講生はおおよそ9対1の割合で女性が多い。

悲嘆にくれる人に寄り添う「そこにマニュアルはありません」
 グリーフケア研究所前所長でシスター、高木慶子さん(76)の紹介で登壇した日野原さんは101歳を超えて、なお元気。
 冒頭、日野原さんは「私は3月に胸椎の骨折をしました。聖路加で手術を受けた2日後には福岡。その2日後に秋田に行きました。骨折したら聖路加病院に」と宣伝して、会場を沸かせた。
 講義のテーマは「グリーフケアにおけるケアとは何か―私の扱った症例の分析―」。さすがに症例も豊富。1956~57年に首相を務め、自らの担当患者だった石橋湛山(1884~1973年)の思い出話などを交えながら、患者や遺族のグリーフについて語った。
 末期がんの妻のユーモアを失わずに看病し、仕事を休んで最期まで看取ったサラリーマンの夫。ホスピスで5人の孫にクリスマスキャロルを歌ってもらいながら逝った80歳の仏教徒の男性。「こういう最期を迎えるところにグリーフはない。あのような死に方をしてよかった。グリーフが予防できた」と述べた。
「こういうのを見ると、グリーフの中に癒やしがあるのではないかと学ぶようになった」と日野原さん。

1時間半の講演を立ちっぱなしで話し続け、受講者は真剣にノートをとっていた。

福知山線脱線事故が契機に

 社会に認知されつつあるグリーフケアだが、注目を浴びるようになったのはつい最近のことだ。
 研究所の設立に関わった高木さんは言う。
「私は25年前から、治る見込みのない患者さんの精神的苦痛を和らげるターミナルケアとグリーフケアに携わってきました。しかし、グリーフケアという言葉はまったく社会に浸透していませんでした。『緑化運動のことですか?』とも言われました」

 6年前、終末期医療に携わる医師が、「グリーフケア」という言葉を知っているか、医師250人にアンケートをしたことがあった。結果、25%の医師がその意味を知らなかったという。その程度の認知だった。
 事態が徐々に変化したのは、2005年4月に起こったJR西日本福知山線脱線事故。この事故では、運転士と乗客合わせて107人が死亡、負傷者は562人にも上った。
 07年、悲嘆に暮れる遺族ケアなどを目的に、JR西日本の寄付により公開講座「『悲嘆』について学ぶ」が関西でスタート。300人の定員に対し2000人もの申し込みが殺到した。
「グリーフケアは社会に求められている」。関係者の尽力で、実践する専門家の養成などを含む研究所が09年、聖トマス大学(兵庫県尼崎市)に開設され、翌10年に上智大学に移管された。現在は上智大学の東京キャンパスと、大阪のサテライトキャンパスで活動している。
 なぜ、急にグリーフケアに注目が集まったのか―。
「ひとつには、『人は誰でも死ぬ』という、当たり前だが、わが身のこととして考えられない事実を、眼前に突きつけられることが多くなっているからではないか」と高木さん。最近では11年3月11日の東日本大震災がそうであったように。

被災地にあふれる悲嘆、そして回復

グリーフ(悲嘆)の過程 高木さんは東日本大震災後、定期的に被災地を訪れ、家族を失った人たちのケアに奔走している。
「この手を切り刻んでください」。2年前、高木さんはある女性にこう叫ばれた。
 女性はあの日、娘を抱えて迫る津波から逃げた。胸まで水につかったという。自身は一命を取り留め、娘を高台の草の上に寝かせたところ、泥まみれになっていて呼吸をしていなかった。
「もう少し高く娘を抱き上げていれば…」。女性は自分を責め続けていた。
 高木さんは、「今、あなたの手ではしっかり抱けないかもしれないけれど、神様や仏様、ご先祖様があなたに代わって抱きしめているから、それを信じましょうよ」と励まし続けた。
 そして、震災からまる2年を迎えようとする今年3月8日、この女性から高木さんに電話があった。「私は高木先生の話を『信じられない!』と言ってきましたが、私が信じられるように念じてください」。
 女性は、何者かが自分に代わって娘を抱いていることを信じたい、そうあってほしいと思えるようになっていた。
 また、両親が家と一緒に津波で流され、悲嘆に暮れていた40代の男性と今年3月に会ったとき、男性は「先生。この前、おやじが自分の前を歩いていたんですよ」と切り出した。

 これを「幽霊を見た。怖い」と感じるのではなく、「父親があの世で生きている。安心した」ととらえた男性に、高木さんは悲嘆からの回復をみてとった。被災地にはこうした「幽霊話」が数多くある。
 人間には悲嘆を受け入れ、適応できる力が備わっており、グリーフケアはその力を発揮できるように手助けするものだという。

人間関係にマニュアルなし。必要なのは相手への尊敬と信頼

 「悲嘆は近しい人を失ったときだけのものではない」と高木さん。失業、リストラのほか急な病気など、自分の心の安定を保っていたものを失ったとき訪れるのだそうだ。
「日本にはかつて、日常の中でグリーフケアを行う人がいた。隣近所や数世代が同居する家族などです。しかし、近所づきあいが希薄になり、核家族や単身世帯の増加などで、社会のこうした機能が失われた。そのため、グリーフケアへの関心が高まっているのです」
 では、悲嘆に暮れる人にどう接すればいのか?
「マニュアルはございません」ぶ機会を提供し続けている。

 高木さんはそう即答し、さらに続ける。
「人間関係というのは、事前に『こうだったらこうしましょう』と準備していても、実は一刻一刻違っている。ですから私がいつも申し上げるのは、悲嘆に暮れている方々に接するとき、こういう接し方がいいですよというマニュアルをつくっていると、そのマニュアルにとらわれて不自由になっちゃうんですよ」と。
 一方、マニュアルはないが秘訣は存在する。それは、「相手に対する尊敬と信頼をしっかりと持つこと」。次に、「自分がどういう言葉を出すか」だという。
「相手が苦しんでいたら『お辛いんですか』という言葉が出せるかもしれない。『どうなさいましたか』と言うかもしれない。それはそのときの自分の感性から出るもの。人が教えた言葉では力がない。自分の中から出てくる言葉しか力がないんですよ」
 人間関係が希薄な高齢社会を迎え、グリーフケアを学ぶ重要性は高まる一方だ。研究所では、そんな現代社会に、単なる知識ではない、人間力を学ぶ機会を提供し続けている。

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