【第9次応募作品】
笑顔の裏で実は自分の死期を感じていたの?
幻覚でいい最期私に会ってくれてありがとね
お腹すくでしょお線香いっぱいたいておくね
〈まあち・静岡県・17才・女性〉からの投稿
2月14日バレンタインデーが終わろうとしていました。しかし、夕食後、母に祖父が倒れたと一本の電話がきました。 急いでタクシーで向かいました。経験した中で最も長く苦しい30分間でした。駆けつけると、パトカーと救急車がありました。 大好きな祖父は既に亡くなっていました。後からわかりましたが、急性心筋梗塞でした。それから、初めてのお通夜、お葬式。いつまでも子供ではない。今出来ること。それは、最高のお葬式にすること。ただそれだけでした。恩返ししたかったんです。訪問者の対応から、写真選び。好きだった音楽CDを借りて、お葬式で流し、弔辞もやらせていただきました。一番嬉しかったのは、式場から祖父が大好きだった家へ一緒に帰ったことです。私に遺骨を持たせてくれたんです。多忙な数日が流れました。毎週祖父母に会いに行くのが17年間当たり前だったので、今日も行きました。やっぱり、会いたい。触れたい。でも、無理なんだと悟りました。そんな時聞いたんです。死者は御線香をたてたときにだけ、私の声が届くと。それが私は嬉しくて、安心しました。じいじの最期はみとれなかったけど、伝えられるんだって。さらに、死者は無くなると、三途の川まで130Km歩き、49日後、仏になれるそうです。その歩いている間、御線香の煙だけが食べ物だそうです。全く仏教について知らなかった私ですが、今私にとって御線香は、唯一の祖父と私を結ぶかけがえのないものとなりました。明日も御線香をたむけることにより、じいじとお話したいと思います。それに、とても食いしん坊な祖父でしたので。 話が変わりますが、祖父は、パーキンソン病という、難病に数年前からなっていました。こんなにすぐ亡くなる病ではなかったのですが、徐々に徐々に体が動かなくなっていくものです。直せはしませんが、進行を遅らせる新薬を飲んでいました。しかし、幻覚という忌まわしい副作用と引き換えでした。でも、亡くなる少し前、私を幻覚で見たそうです。私はじいじが私に会ってからなくなってくれていたのだと安心しました。あと、不思議な事が一つだけありました。死亡推定時刻19:30でしたが、19:45に私の時計が止まっていたんです。私はその偶然を祖父が最期に会いに来てくれたのだと信じています。じいじありがとう。今はゆっくり眠って、いつか起きたらまた楽しんで、いっぱい笑っていてね。本当に大好き。
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